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ハチ公、80年。

2014/04/20 17:46
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まだ、ハチが生きていた昭和9年4月21日、渋谷駅前に初代「忠犬ハチ公像」が設置された。ハチ公の話はあまりにも有名で、戦前に海外でも報じられている。ただ、この初代ハチ公は昭和19年10月12日に戦時の金属供出として撤去された。実際に溶解されたのはなんと、終戦前日の昭和20年8月14日だというから驚きだ。現在のハチ公は二代目であり、昭和23年8月に設置されており、除幕式にはGHQの代表も参列している。

 昭和44年1月だった。当時はまだ「お受験」のはしりの頃だったと思う。福岡市立今宿小学校6年生だった私は、横浜市にある桐蔭学園中学校を受験するために上京し、目黒区下目黒の親戚宅にやっかいになっていた。

受験前日、母は何かの用向きで朝から池袋に出かけたが、私は入試を翌日に控えていたことから同行を禁じられた。それが痛く不満だった。母が出かけたあと、誰にも告げずにひとりで家を出て池袋に向かった。もちろん徒歩で。

道なんか知らないし、所持金もない。まあ、山手線沿いに歩けばそのうち着くだろうと難しく考えずに歩を進めた。10時に目黒を出て、線路から離れないように歩いているうちに、渋谷駅に着いた。私の渋谷初見参は、今でいう「プチ家出」だった。

ハチ公を思い出した。是非会いたいと思った。探してついにたどり着いた。テレビで見たことのあるハチ公が、そこにいた。「僕、東京にいるんだなあ、ハチ公の前に立ってるんだから!」

原宿駅前を通り国立競技場を見て(なぜか、明治神宮にはまったく気がつかなかった)新宿にも到着。平家の飲み屋街を通り抜け、14時すぎだかに池袋に着いたのを覚えている。「池袋駅」の看板を見たらなぜかしらクソッという思いは消えていた。

「さ、帰ろ。」というノリで来た道を戻りはじめたが、悪夢が待っていた。まだ1月で日が暮れるのは早い。新宿をすぎたあたりで暗くなり方向がわからなくなった。それでも渋谷まで戻ってくることができた。そのまま歩き続ければよかったのだろう。

また、ハチ公に会いたくなってハチ公を拝んだところでどっちがどっちだか方向がわからなくなった。勘を頼りに歩いていると、見えてきたのは国立競技場。渋谷から目黒どころか、また池袋方面へ逆方向に歩いていた。それでも来た道を戻れば渋谷に戻れ、そのまま進めば目黒に行けると確信していたので不安はなかった、、、はずだった。

よせばいいのに、またハチ公に会いに行った、、、そして結局、完全に道がわからなくなった。すっかり暗くなっていた。観念した私は生意気にもタクシーを拾い、目黒の親戚宅へ帰った。

親が連れていってくれないなら自分ひとりで行ってやるくらいのつもりだったが、えらいことになっていた。警察に捜索願いが出され、東京近辺の親戚が全員集合しており、母は大泣きだった。

それでも叱られることはなかった。ご飯を食べて入浴したらすぐに休まされた。そう、翌日が本命校の受験本番だったからだ。私はその桐蔭学園中学校に入学し、4月から福岡市の親元を離れ、横浜市港北区鉄町(後に緑区、現在は青葉区)の学校の寮に入った。

あれから45年たった今でも渋谷に行くと必ずハチ公に会いに行く。会うと小6のあのときのことを思い出す。3月の誕生日前だからまだ11歳だった。小さい頃から札つきの猪突猛進型だったのかもしれない。ただ、あのときと違い今は道がわかる。

いなくなったと連絡を受けていただろう福岡の父はどんな心境だったろう。健在で福岡市の施設にいる母はこの8月で満80歳を迎える。

子供の頃から親不孝者だったんだろうな。
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